渡辺好明 作品紹介 1990年〜1994年


「燃える絵画」

1990年 未発表

帰国して、パラフィンワックスを用いた作品に展開するきっかけとなった試作。
F50号大のパラフィンワックスの板には、内部に灯芯がびっしり並べて封じ込めてあり、一点に点火するとパネル全体が燃えて、壁面に煤がつけられていく。


パラフィンワックス、灯芯


「光ではかられた時-階梯-」

1991年8月 白州・夏・フェスティバル
山梨県 白州町

1991年に行なわれた白州・夏・フェスティバル*のオープニングに点火された蝋の階段。鑞を用いた(発表されたものとしては)最初の作品である。休耕田の段差を利用して設置された階段の高さは6m。南アルプス八ヶ岳に向かって延びる鑞の階段には、正午にレンズで太陽の光を集めて得られた種火を用いて、日没を待って点火された。道を隔ててフェスティバルのメイン会場であった巨麻神社では、田中泯と観世栄夫の競演など多彩な演目が進められる中、階段全体に及んだ炎は次第に火力を増し、自ら風を起こして、火の竜巻きのようになって夜空を焦し始めた。斜面をつたって滝のように流れ落ちる鑞は、初めは澄んだ池のように溜まって燃える階段を美しく映し込んだが、やがては周囲の畑全体に溢れ出して、鑞の湿原のように広がり、ついにはそこにも着火して、辺りは火の海と化していった。フェティバル関係者や観客も加わっての懸命な消火作業により、無事に火は消し止められ、延焼、大事に到らずに済んだのは幸運としかいいようがない。火のもつ威力、恐さをまさに身を以て痛感させられた作品である。

(作品部分)

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*白州・夏・フェスティバルは1988年から舞踏家の田中泯の呼びかけにより、美術、音楽、演劇、舞踊、文学、伝統芸能、民俗芸能、建築など様々な分野の関係者が山梨県北巨摩郡白州町に集まって始められた。美術部門は、榎倉康二、高山登、原口典之などが中心となり「工作集団 風の又三郎」という美術家組織を作って参加。多くの美術家が野外作品を様々な場所に制作設置していった。美術部門は95年に解散したが、フェスティバルは、田中泯、木幡和恵らのプロデュースによりアートキャンプ白州、ダンス白州と名前を変え、現在まで毎年継続して開催されている。


パラフィンワックス、灯芯


「光ではかられた時-スパイラル-」

1992年6月 個展
YBP横浜ガレリア 横浜市

蝋燭を床にドミノ状に並べて点火し、燃えていくプロセスを見せるインスタレーションの第1作め。円形の池に面したギャラリーは扇形の特徴的な形をしており、大小2つのギャラリー空間にまたがってφ螺旋*を描くように、約6000本の小蝋燭が並べられた。螺旋の中心から点火された灯火は、横倒しにされた灯芯を伝って次々に燃え移っていく。床にはガラス板が敷かれて、溶けた鑞の痕跡を標していく。螺旋は2つ目のギャラリーでは、広がっていく渦巻きと閉じていく渦巻きの2方向に分かれ、一方は壁に吸い込まれるように、他方は螺旋の中心に再び至って、いずれも燃え尽きた。また、壁面に立ち並ぶ柱には、日付けを記した鑞製のパネルが掛けられており、2週間の展覧会期中毎日、当日分のパネルが燃やされた。

(作品部分)

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*φ螺旋  回転する正方形とも呼ばれる。1辺=1の正方形を隣接して2つ描き、次に1辺=2の正方形を前の2つの正方形に隣接して描く。さらに前の2つの正方形の辺の長さの和すなわち1+2=3を1辺とする正方形を隣接して描く・・・と続けると、正方形の各辺は、フィボナッチ数列**に従って大きくなる。各正方形内にその1辺を半径とする円(1/4円)を描いていくことにより生まれる螺旋形。
**フィボナッチ数列 fn+1=fn+fn-1 すなわち前の2つの数の和が次の数となるような数列1,1,2,3,5,7,12,21...で、13世紀イタリアの数学者でピサのレオナルドとも呼ばれるフィボナッチによって見いだされたとされる。数列が進むにつれて、2項の比は黄金比(X:1=X+1:X)に近づいていく。自然界に見られる多くの成長パターン(葉のつき方や巻貝の渦巻きなど)が、フィボナッチ数列や黄金比に従っていることが知られている。 [参照]


ガラス、蝋燭


「光ではかられた時-故山川輝夫に捧ぐ-」

1992年8月 山川輝夫追悼展でのパフォーマンス
YBP横浜ガレリア 横浜市

東京芸術大学の恩師 山川輝夫(1992年1月20日没 享年51歳)の追悼展(東京芸術大学油画第5研究室展)でのパフォーマンス。展覧会場となったYBP横浜ガレリアの中央に位置する円形の池(水深15cm)の中央に、カップキャンドルを365個、菊の花状に円形に集めて、ひとつひとつに点火していく。次第に火の灯されたカップキャンドルは水面を漂い、池全体に広がっていく。


365個のカップキャンドル


「光ではかられた時-ジグラット-」

1992年12月 ギャラリー美遊、東京

「光ではかられた時-ジグラット-」(作品部分)

メソポタミアやエラムの古代都市に築かれた階段状の聖塔「ジグラット」を模して、小蝋燭をびっしりと集めて作られている。このジグラットの最上段はピラミッド型となっており、その頂点に火を灯すと神殿全体が燃え上がることは容易にイメージされよう。同地では、後にゾロアスター教(拝火教)が興り、また、今日なお戦火に焼かれる日々が続いていることを想わずにはいられない。


蝋燭、スタイロフォーム


「光ではかられた時-黄道-」(一階)

1994年1月 ギャラリートモス、東京

「光ではかられた時-黄道-」(地階壁面)
「光ではかられた時-真夜中の太陽-」(地階床面)

画廊は各種キャンドルの製造、販売を行なう企業の経営による。トモスとは「灯す」から名付けられたと言う。本展では、通りに面したガラス張りの1階と、同面積で真下に位置するブラックボックス(黒の壁面)の地階という2つの部屋を、想像力によって1つの空間として結び付けて構成した。すなわちガラス板上で燃やされた蝋燭が描く円は、一階と地階とに2分されて「黄道」を描く。地階の床は一面にパラフィンワックスで覆われており、中央の1点で火が灯される。火は自らの足下に穴を穿ちつつ次第に沈み込み、床面を内側からほの照らす。


蝋燭、パラフィンワックス、ガラス

「光ではかられた時-暖かい食事-」

1994年6月 ライクスアカデミー、アムステルダム

日航財団「空の日芸術賞」受賞による1年間の欧米派遣期間中、1994年4月から約4か月間、ゲストアーティストとして滞在したアムステルダムのライクスアカデミーでの公開制作。展示場所は運河に面したアカデミーの学生食堂である。ちなみにドイツなどにおいて夕食は、パンにチーズやハム、ソーセージなどをはさんで簡単に済ませることが多く、これを「kaltes Essen 冷たい食事」という。


スープ皿、サラダ油、灯芯


「光ではかられた時-クロイツ-」(床面)
「光ではかられた時-フィボナッチフリーズ-」(壁面)

1994年10月 クルトギャラリー、ウィーン

床面のキャンドルドミノインスタレーションでは、十字架状に東西南北に向かって蝋燭が並べられ、その交点から火が灯された。点火されてしばらくは炎の十字架を浮かび上がらせるが、灯火は次第に離ればなれになり、やがて壁に向かって消えていった。 壁面の作品においては、フィボナッチ数列に従って次第に燃やされる蝋燭の数が増えていき、天井近くに至ってフリーズ*のように壁面全体を取り囲む。
*フリーズ(絵様帯):ギリシャ神殿などで列柱上部の壁面のレリーフなどが施された帯状の装飾面のこと


ガラス、蝋燭